今日はヤシさんの作業所の日。
もう何回か一人で通っているので、すっかり慣れた様子で、特に緊張することもなく出発していきました。
私も彼を見送ったあと、洗濯物を干したり、社会労務士の方に今後の手続きや方向性を相談したり。
少し一息ついて、TVerで「モンテ・クリスト伯」を見ていました。
有名な作品なのに内容をほとんど知らなかったので、意外と引き込まれて見ていました。
ところが、そろそろ出かけようかな、とスマホを見たとき、、、
着信履歴とメッセージがいくつも入っていることに気づきました。
「え……?」
一気に嫌な想像が頭をよぎります。
もしかして、途中で自分がどこに行くのかわからなくなったのでは……?
その直後、今度は作業所から連絡が入りました。
その内容は、バスの遅延があったこと、以前見学した別の作業所に連絡してしまったこと、そして「無事に到着した」ということ。
でも正直、状況がよくわかりませんでした。
家を出たのは9時前。
作業所に着いたのは10時半過ぎ。
最寄りの駅からは、バスに乗って10分ほどの距離なのに、
1時間以上の空白がある。
とりあえず本人の様子を知りたくて、作業所に電話をしました。
「バスが混んでいて遅れたようです」とのこと。
本人と話してみると、落ち着いていて、大きな混乱はなさそうでした。
詳しい話はあとで聞くことにして、私はそのまま放課後デイサービスへ出勤。
理由が示されないまま、責められるしんどさ
その日は避難訓練と外遊びがあり、広場で鬼ごっこをしました。
子どもたちはとても楽しそうで、職員2名も一緒になって走り回っていました。
時間になり、帰ろうとしていたとき。
犬の散歩をしていた女性に呼び止められました。
「大人まで一緒になって、周りが見えていない」
「ここを占領するような遊び方はやめてほしい」
「バカなんですか?」
……正直、頭の中に「?」がたくさん浮かびました。
具体的に何かあったのか尋ねても、
「何かあったわけじゃないけど、とにかく迷惑」という返答。
私は感情を害してしまったことについては謝り、
「上司に伝えます」とお伝えしました。
また、放課後デイサービスについて簡単に説明もしました。
ただ、
ぶつかりそうだった
犬が怖がっていた
危険だった
そういった具体的な話は、最後まで聞くことができませんでした。
広い場所で、子どもたちも他の人に近づかないよう見守っていました。
だからこそ、「子どもがのびのび遊ぶこと自体が否定された」ように感じてしまい、
一生懸命鬼役をしていた職員を「バカ」と言われたことが、何よりつらかったです。
怒りというより、残念さが残りました。
悪いことをしているとは、どうしても思えなかったから。
理由がわかると、人は安心できる
公園で声をかけられたとき、私は最後まで「何がいけなかったのか」を知ることができませんでした。
具体的な出来事が示されないまま、ただ気持ちだけをぶつけられると、どう受け止めていいのか分からず、後には残念さだけが残ります。
一方で、ヤシさんの通所の件は、あとから理由がわかりました。
電車の停電という予想外の出来事があり、その影響でいつものバス停が大混雑し、いつもと違う状況に戸惑ってしまった。
ただそれだけのことだったのだと分かった瞬間、胸の中の不安はすっと落ち着きました。
同じ「予定通りにいかなかった出来事」でも、
理由がわかるか、わからないかで、心の負担はこんなにも違います。
今のヤシさんは、自分の状況を正確に説明することが難しいことがあります。
だからこそ、周囲からの情報や、丁寧な説明が、安心につながります。
公園での出来事も、もし
「ここが危なかった」
「こういう点が困った」
そんな一言があれば、受け止め方は違っていたかもしれません。
理由を知ること。
説明してもらうこと。
それは誰かを責めるためではなく、安心して次に進むために必要なものなのだと、改めて感じた一日でした。

