若年性認知症と診断されるまで:①予兆

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若年性認知症とは

はじめに

以前に少し触れたように、私の夫ヤシさんは若年性認知症と診断されています。

診断を受けたのは2023年の5月頃。その経緯を今日は綴ってみたいと思います。

引越し続きの日々、うつ病?それとも?

コロナ禍になる前、私たちは海外で暮らしていました。

しかし状況が悪化し、このままでは日本に帰れなくなるかもしれないと判断し、ビザは残っていたものの日本へ帰国することに。ここから「コロナ難民」としての生活が始まりました。

まずは夫の実家で暮らしましたが、義父も若年性認知症を発症しており、一緒に暮らすのは難しいと感じました。そこで、当時空き家になっていた夫の実家の持ち家へ移ることに。家自体は快適でしたが、広すぎて持て余し、半年後には実家近くのアパートへ。

この頃、すでに軽い記憶障害言葉がスムーズに出てこないなどの症状はありました。

「生活の変化とストレスによる影響かも」と考えたり、真剣に「何か病気か障害かも?」と思って友人に相談してみたこともあります。

でも、「そんなの誰だってある」と笑い飛ばされたり、「もっとヤシさんを大事にしろ」という批判を受けることさえありました。周囲の人にとっては、ただのグチにしか聞こえなかったのでしょう。

そのため、「何かおかしいのはコロナの影響で一時的なもの」と自分に言い聞かせつつ、

悶々とした不安や戸惑い、苛立ちとともに、精神的に不安定な時期を過ごしました。

さらなる異変

その後、横浜市のセーフティネット住宅制度を利用し、UR団地へ移ることができました。

夫の様子にさらにはっきりと違和感を覚え始めたのは、このころのことです。

さまざまな手続きを進める中で、夫が話についていけず、すべて私が主体となって動くようになりました。

引越しも、荷物は少ないから自分たちで運べるだろうと思っていたのに、夫は段取りを組むことも難しく会話もうまくかみ合わない。私はつい感情を抑えられず強くあたってしまい、そのことに落ち込む日々…。

それまでも、人前で言葉が出てこなかったり、同じことを繰り返し聞いたり、こちらの意図と違う行動をしたりすることはありました。けれど私は「もともとの性格が強まっただけ」と思っていたのです。

しかし引越し後も、夫は住所をいつまでも覚えられなかったり、反応が鈍くなったり、口数が減ったりすることが増えていきました。

今思えば、この頃から若年性認知症のサインはかなりはっきり出ていたのでしょう。

💡 ワンポイント情報

若年性認知症(65歳未満で発症する認知症)は、初期には「うつ病に似た症状」や「性格の変化」として現れることもあります。そのため受診を迷うご家族も少なくありません。

病院へ行こうと決めるまで

「まさか若年性認知症など、まれな病気にうちの夫がなるはずがない」

「私がもっと穏やかに接すれば状況が改善するかもしれない。」

そうした希望も拭えない一方で、介護福祉の知識と経験を踏まえて、夫が認知症だったらどう行動すべきか具体的に考える日々を過ごしました。

そんな時、夫を昔からよく知る友人に「ヤシさん、昔とちがうよね」「決断力がなくなった」とはっきり指摘されたのです。

他の人から見ても分かる変化――そして夫の父も若年性認知症だったことも重なり、記憶障害など小さな異変を感じてから約2年越しに、ようやく受診を決意しました。

当時を振り返って

認知症の初期症状は人それぞれ異なります

それでも専門機関に早めに相談するなら、対処すべき方法も早めに分かるかもしれません。

それに軽度のうちにケアを始めれば、進行の速度もゆるやかにできるかもしれません。

ただ、早めに「分かりたくない」気持ちも分かります。

生き方全体が影響を受けることですから、、、。

また、他の人に相談しても聞いてもらえない、分かってもらえないという経験は本当に辛かったです。

確実でないことを勝手に否定しないで、相手の話をまずはしっかり聞いて、一緒に考えていこう、と学びました。

一方で、何かおかしいと悩んでいる方は、ぜひ記録をとっておいてください。

それは先々の診断や、障害者手帳の取得、障害年金の取得などの手続きを行う際に助けになるはずです。

次回予告

次は「初めての受診」についてお話しします。

同じように「これは性格?それとも病気?」と迷っている方にとって、少しでも参考になれば幸いです。


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